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極楽町通信

津商工会議所青年部 会長 BLOG

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極楽町通信 vol.31 

 みなさんこんにちは、5日6日と四国松山で開催された全国大会に、26名のメンバーで参加させていただきました。早朝からの出発、バスでの長旅でしたが、本当に楽しい二日間を過ごさせていただきました。バスの車中や、現地の対応など気を配っていただき、会員間の交流も深まったことと思います。渉外委員会さんありがとうございました。

 6月より続けてきましたこのブログも今回で最終回にさせていただきます。

 本年度会長を受けさせていただくにあたり、最も力を注いだのがどのような組織にしていくかでした。特に副会長は誰にやってもらうかがテーマでした。
 第1番の条件は平成24年度に現役で残っている人
 2番目はできれば初めて副会長になる人でした。
 おかげさまで5名の素晴らしい副会長に一緒にやってもらうことができました。

 次に、会の運営については、予算組みから事業計画に至るまですべて専務と常務にお任せしました。そして、副会長には『会長になったつもりで』と委員会の指導はもとより、津YEGの進むべき道を考えてもらいました。

 ここまですべて人に任せてしまうと、4月以降私の仕事はありません。そこで思いついたのが今回のブログです。委員長を受けさせてもらって以降5年間、私の中で確実に何かが変わりました。その原因は明らかにYEG活動の中にあります。

 誰もが忙しいなかYEG活動に参加しています。しかも、委員長を受けさせてもらってからYEG活動に費やす時間は右肩上がりに増えていきました。が、それに合わせて自分がこなせる仕事の量も同じように増えていったのです。キツネにつままれたような不思議さです。この不思議さを一人でも多く伝えたいと始めたのが『極楽町通信』です。

 今回のブログを開始するにあたり、書きためておくということは一切しませんでした。その時その時の事業や会議を終えた後に湧いてくる気持ちをそのまま書き続けました。
自分の体験をつづる中、偶然にも本年度や次年度の流れについてうまくかぶせることができたことで、自分の想像以上のものになりました。

 原稿が遅れ続ける日がありましたが、何とか最後まで続けられたのも、みなさんのおかげと感謝しております。もし別の機会に書こうとしてもまったく別のものになってしまったと思います。

 みなさん、いかがでしたか?
 何かを感じ取っていただけましたか?
 もし何か心に響くものがあれば、ぜひ一歩前に出て下さい。

 最後に
 会員の一人一人が新しいことに挑戦しよう。
 どんな小さなことでも一歩前進しよう。
 みんなの一歩が津商工会議所青年部の大きな前進になります。
 大きな目標に向けて『一歩一歩、前進』

一年間どうもありがとうございました。
(おわり)
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極楽町通信 vol.30 

 みなさんこんにちは、先日、津商工会議所の正副会頭と青年部との懇談会がありました。例年の懇談会より青年部の参加人数を絞り、意見交換も取り入れてもらいました。懇親会の4テーブルで各テーブルとも正副会頭も合わせ4名で、普段聞けないようなお話をたくさん聞かせていただきました。準備をしてもらった総務委員会さん、ありがとうございました。

 今回は、元気玉太鼓について少し触れたいと思います。
 ちょうど野瀬委員長の1年目の2月例会で、YEG祭について考えようという例会がありました。その中で、元気玉のルーツを探ってみました。調べてみると、津まつり絵巻にも残っている江戸時代前期の西町・搭世町の『朱鐘に金斧』ではないかと推察できました。そして、それが昭和初期になると西町の山車『火焔宝珠』に変化しているようです。

戦後もこの西町の玉山車がまつりに出ていたようですが、いつの間にか引き手がいなくなり倉庫に眠っているということをYEGの先輩方が聞きつけ、長谷川第七代会長の時に復活されました。
そして、現代の疫病『不景気』退散の願いを込め『元気玉』と命名されました。

山車を引くにあたり、おはやしも必要だろうということで始まったのが、
『元気玉太鼓』だと伺っています。
スタートは中太鼓一つ、たたき手も一人の先輩が1日中たたき続けたと聞いています。

先輩の『一人でもやってやるぞ』という気概から、その後、たたき手の数も増え、それに伴い太鼓の数も増え、現在のおはやし隊につながっています。太鼓の演奏についての大きな転換点は、中村まつり委員長の時だったのかなと思います。

プロの和太鼓奏者服部博之先生を指導者に迎え、練習量も練習内容も濃いものとなりました。その成果はVol.11に書いたとおりです。中村君の2年目にはうちわ太鼓が登場し、今の原型を作り、野瀬隊長、山本隊長に引き継がれ現在の元気玉太鼓につながっています。

年々バージョンアップを繰り返し、メンバーの白屋貴江さんが新曲『響炎』を作曲し、おはやし隊が演奏するまでになりました。本当に素晴らしい進化だと思います。
これもOBの先輩をはじめ、元気玉協力会のみなさんのおかげと感謝しております。

極楽通信も9か月にわたり続けてきましたが、
いよいよ次回をもって最終回にしたいと思います。
書いていて感じたこと、発見したことなどをまとめたいと思いますので、
よろしくお願いします。
(つづく)
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極楽町通信 vol.29 

 みなさんこんにちは、先日三重県連の役員会・懇親会があり、津YEGからも大勢のメンバーに参加していただきました。懇親会では、参加者の3分の1近くが津YEGという状態で、6月に開催される設立25周年記念事業に向けて、大いにPRできました。実行委員長をはじめ参加していただいたみなさん、ありがとうございました。

 前回の続きを進めます。
 役員会の席でもYEG祭の案件が協議にのぼり始めたころ、委員長の一人であるKさんよりこんなことを言われました。
 『まつり委員会の二人は、自ら立候補してまつりの委員長と副委員長になったんだってね。私の会社の中でも大変だとわかっているのに手を挙げて前に出られる若い子は少ないけど、あの二人はすごいね。』

 Kさんは私と同じ年の方で、大手生命保険会社の三重支社の部長さんです。前の勤務地でYEGに参加していたので、新しい赴任地である津でも自ら入会を申し込まれた方です。幅広い目で全国を見ている方の言葉でしたので、
『全国を見た人の目から見てもすごいことなんだ。』
と改めて感心しました。

 私が、今思い出してもいいコンビだったなあと思います。しかし、息の合ったコンビかというと少し違ったようでした。
 役員会や実行委員会でどんなにたたかれようと、まつり委員長らしく陽気に明るく前向きに進んでいこうとする委員長(少し調子に乗るところもありますが)と、まつりの熱気の輪から少し離れて文句を言いつつ冷静に資料づくりを行う副委員長(本当は熱いものを押し殺していたのかもしれません)、これにDアドバイザーという潤滑油があり、委員会活動も暗礁に乗り上げそうなことが何度もありましたが、何とか座礁は回避して進んで行けたと思います。

 そんなまつり委員会も一度だけまずいなという時期がありました。YEG祭の内容もだいぶ煮詰まってきた7月半ばごろ、電話で副委員長の口から委員長に対する愚痴が出ました。今まで一度もそんな愚痴を聞いたことがなかっただけに『あれっ』という感じがしました。
その時は委員会みんなの前で腹にある不満を出してもらいました。結局その1回だけでした。あとは完璧だったと思います。

 対外的な部分や・昨年からの注意点については二人の先輩に対応してもらい、実務は委員長・副委員長にしてもらい、私は何をしたのか振り返ってみると、会議や懇親会の席に遅刻せず参加したことぐらいかなと思います。しかし、この年は私のYEG活動の中で忘れられない年となりました。

 次回は少し元気玉太鼓について触れたいと思います。(つづく)
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極楽町通信 vol.28 

 みなさんこんにちは、昨日は観音さんの節分祭に参加し、舞台より豆を撒かせていただきました。本年度はいろいろな体験をさせてもらい、本当にありがとうございます。
当日、会場警備や鬼おさえ儀式のお手伝い、太鼓の演奏をしてもらったみなさん、お疲れ様でした。

 前回、私の副会長時代には、経験十分な先輩の存在があったと書きました。
 YEG祭実行委員会や正副の会議が終わると、翌日必ずM先輩から電話をいただきました。本当にいろいろなことを教えてもらいましたが、私の記憶では次の2点について多かったのではなかったかと思います。
 ①まつりという事業は、ただでさえ負担の多い事業なので、できる限り予想し得る余分なリスクは排除しなければならない。
 ②YEGとして、津まつりで恥ずかしいことはできない。
会議で散々叱られた後ですので、先輩から電話があるたびに『ドキッ』としました。

 このほか、実行委員会の進め方やおはやし隊に関すること、元気玉協力会との決起大会の進め方やあいさつの順番に至るまで細かく教えてもらいました。M先輩は私の2代前のYEG祭の実行委員長です。普段は冷静で、あまり生の感情を見せず冗談の多い方ですが、まつりに対してこんなに熱い思いを持っているんだと改めて感じました。

 いまでも思い出に残っているのが、山車の練り歩きのコースを確認するために、9月初旬の残暑厳しい中、委員長・副委員長・M先輩、そして私の4人で出発地点の津八幡宮から終点のセンターパレスまで自転車に乗って確認したことです。休憩場所の確認や時間に余裕ができた場合の対応など、車に乗っていては分からないような細かい部分についてかなり時間をかけて確認しました。何か中学生に戻ったような楽しい錯覚がありましたし、ここまでやらなければいけないんだということも教えてもらいました。

 そしてもう一人、私には頼りになる先輩の存在がありました。それは、まつり委員会アドバイザーであり、私の前のYEG祭実行委員であるD先輩です。D先輩には、アドバイザーとしてまつり委員会の運営を陰で支えてもらい、みんなが楽しくできるよう大変気を配ってもらいました。こんな二人の実行委員長経験者の先輩方に助けていただき、平成19年度のYEG祭の準備は進んで行きました。

 次回は、自ら手を挙げ、立候補してまつり委員会の委員長と副委員長になった二人について少し触れたいと思います。
(つづく)
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極楽町通信 vol.27 

みなさんこんにちは、1月例会では久しぶりに会議所に戻り、ビジネスコーチングについて一緒に学ばせていただきました。その後の懇親会にも多数ご参加いただきありがとうございました。

 少し時間があきましたが、2年前の副会長時代に戻ろうと思います。
 5月例会『サンドアート』も晴天に恵まれ、無事に完了しました。そして、5月の役員会で私のYEG祭実行委員長就任とYEG祭実行委員会の組織図が承認され、5月末に第1回のYEG祭実行委員会が開催されました。

 その年のYEG祭のテーマは、
『もっと津を感じ、津を愛そう!~YEG祭』でした。
まつりに向けての構想立案は早くから始めており、1月より何度も委員会を重ねていました。
その中で、野瀬委員長のこだわりは『食』でした。
YEG祭会場にグルメゾーンを設け、市内のB級グルメを集め、食を通して各企業をPRしてもらうと同時に、その象徴として、旧津市10市町村の特産物を集めた10津飯(てんしんはん・最初は10津天茶)を作り、津YEGで販売したいというものでした。

 実行委員会では多くの意見をいただきました。
多くの意見は、『食』に対するこだわりの部分に集中しました。
 ・なぜ、『食』だけに限定するのか?
   商工会議所の取り組む事業なのだから食以外にいろいろな商売があるのに。
 ・ステージのフードバトル(早食い・大食い)は盛り上がるのか?危険では?
  (最終的には中止)
 ・商工会議所の事業で食べ物の販売を行い利益をあげてよいのか?
 ・YEGが販売したもので食中毒が出たらどうするのか?
 ・YEGが販売することで、出店業者の売り上げの一部を奪うことになるのではないか?
などなどです。今考えるともっともな話ばかりですが、当時は理解できませんでした。
 指導すべき立場の人間がわからないのですから、当時の委員会のメンバーも困ったことと思います。

 しかし、YEG活動の素晴らしさは、いろいろなきびしい意見も頂く代わりに、いろいろな指導もしてもらえるということです。私には経験十分の先輩の存在がありました。
(つづく)
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